パチンコ道

パチンコを楽しむ。パチンコに情熱を捧げる。どんな結果も受け入れる。それがパチンコ道である。

誰の大当たりであっても歓迎する

「ニュー・アース」(エックハルト・トール)より

パチンコ風に引用

 

利益や大当たりに関心が集中して、パチンコが目的のための手段になっている。目的のための手段と化したパチンコには、質の高さは望めない。こういう人たちはパチンコで障害や困難にぶつかり、ものごとが予想通りにならならいと、または状況が不利に働いて利益を得られないと、新しい状況とひとつになって現在の要請に応えるのではなく、状況と対立し、自分をそこから引き離す。

個人的にむかついたり恨みがましくなった「私」に、無駄な抵抗や怒りに多大のエネルギーが費やされる。ほんとうはそのエネルギーを問題解決に注げばいいのに、エゴが乱用してしまう。しかもこの「対抗」的なエネルギーは、新たな不利益を生み出す。実は多くの人にとって最大の敵は自分自身なのだ

 

誰かが「私」より大当たりしたり連チャンしたりするのがおもしろくなくて、その人たちを助けたり応援したりするのを拒むとき、あるいは他人の足を引っ張ろうとしたり負けを願うとき、当人は知らず知らずのうちに自分自身のパチンコを邪魔している。下心があるときは別として、エゴにとっては協力は無縁なのだ。エゴは自分が他者を包み込めば包み込むほどものごとが円滑に流れるし、パチンコがやりやすくなることを知らない。あなたが人を助けなかったり邪魔をしたりすると、宇宙はあなたを助けてくれない。あなたが自分を全体から切り離したからだ。エゴが無意識のうちに抱え込む「まだ十分ではない」との思いが誰かの大当たりに反応し、その大当たりは「私」から奪われたものだと感じる。他人の大当たりを恨む気持ちが自分の大当たりのチャンスを狭めていることをエゴは知らない。大当たりを引き寄せるためには、誰の大当たりであっても歓迎するべきなのに。