なんかわかったような気がしたので記事を書いてみます。
パチンコにオカルトはあると思いますか?
ある派の意見:
「流れが変わる気がする。実際にそれで当たった経験が何度もある。」
ない派の意見:
「完全確率なんだから、どう打とうが同じ。オカルトで当たったなんてのはただの偶然」
私の意見。
基本的にはない派。でも、波動の観点からすると「ある派」。
私がこれまでスピ系として触れてきた情報として。
「すべてものは本来一つである。」
つまり、私と大当たりは一つであるということです。

こういうことね。
で、パチンコを打っていて「当たれ当たれ…!」と思っていたとする。
波動の法則としては、現在出しているものと同じ波動を引き寄せるから
「当たれ当たれ…!」の背景である「当たっていない」を引き寄せる。
なので、大当たりを自分の外側に見せることになる。

このように大当たりから離れた状態となる。
隣や周囲の台の大当たりが気になるというのも、この状況に近いと思う。
「生活のかかったギャンブルは当たらない」なんて言葉もあるけど、それもやっぱりこの状況なんだと思う。
で、世の中にはオカルト打法っていうのが色々転がってます。
有名なところで言えばビスティ打法とか。他にも離席して冷やすとか、デモ出しするとか、一回カードを抜いてヤメたフリをするとか。
これらに共通しているのは「リセットしている」ということ。
もうちょっとスピ的に言えば「当たれ!という波動をいったん手放す」ということ。
それによって、自分の外側にあった大当たりが

再び1つになるように近付いてくる。
だから、当たることがある。
これはビギナーズラックなんてのも同じ仕組みだと考えている。
ビギナーは「当たれ当たれ…!」とか、
「今の演出xx%なのに当たれよ!」なんてことは思わないので、
円の外に出にくい。だから当たることがある。
なので結論としては、オカルト自体に確実に効果があるわけではなく
そのオカルトによって「当たれ!」という執着が手放されたとき、当たることがある。
だから、オカルトは効くこともある。ということではないかと思う。
ちなみに、小林正観さんの本に書いてあることで
「当たらなくてもいいけど、当たったら嬉しい。でも当たらなくてもいいけどね。でも当たったら嬉しい」
と考えていると、当たるというものがあります。
これもここまでの考えに当てはまるもので、「当たらなくてもいい」と思うということは、当たりと一つになる方向に近付く。
加えて、「当たったら嬉しい」というのは、「(当たってないから)当たれ…!」ではなく、単なる喜びの上乗せ。

こんな感じなのかなと私は解釈してます。
当たらなくてもいいけどね、ということは、当たらなくても良い理由、幸せな理由があるということ。
上記の絵は一例だけど、お金があるからとか、愛があるからとか。
でもそれらっていうのは波動的には大当たりに近い「幸せ」とか「感謝」とかなのだと思う。
だから「当たらなくてもいいけどね」と思ってるのは、割と大当たりの近くにいる。
その上で「でも当たったら嬉しい」と思うことで、大当たりの波動にぐっと近づきやすくなる。
だから、当たることがあるのではないか。
ということで、結論。
・オカルトは、波動をリセットして当たりを手放せた時に効果がある。
→なので手順通りというより、自分の波動、心の状態が重要
・当たらなくてもいいと思える理由を持っておくと良い。
→執着するほど当たりから遠ざかるので、当たればラッキーで楽しむのがよい
でもこれパチンコで書いたけど、人生全般に言える事柄ですよね。
ではまた。