パチンコ道

パチンコを楽しむ。パチンコに情熱を捧げる。どんな結果も受け入れる。それがパチンコ道である。

負けた事実と感情は別①

「ニュー・アース」(エックハルト・トール)より

パチンコ風に引用

 

エゴに囚われている人は苦しみを苦しみと認めず、パチンコに負けたならそれが唯一適切な対応だと考える。エゴには自分が自分自身や他者に及ぼす苦しみが見えない。(中略)勝てない怒り、負けるかもという不安、連チャンしないことや釘の悪さへの憎悪、恨み、不満、他の台への羨望、嫉妬その他のネガティブな状態がネガティブと感じられず、完全に正当化され、しかも自分が作り出したのに台やお店などの外部要因のせいだと勘違いされている。「私の苦痛はパチンコに負けたせいだ」。エゴはいつもそう言う。

 

エゴは状況と状況に対する解釈および反応を区別できない。「なんてひどい負けだ」と言うあなたは、ハマりや単発や負け額その他あなたが反応した状況が「ひどい」わけではないと気付かない。ひどいと反応したのはあなたであり、あなたの内なる抵抗であって、ひどいなあという感情はその抵抗が生み出したものだ。シェークスピアの言葉を借りれば、「ものごと事態には良いも悪いもない。良いか悪いかは考え方ひとつ」なのである。

 

たとえば負けた怒りや恨みは分離意識を強め、台やお店の存在を拡大して、自分は悪くない!といった「正義」という一見難攻不落の砦のような精神状態を生み出すので、エゴが大幅に強化される。そういうネガティブな状態になったとき、自分にどんな心理的変化が起こるか、また心肺や消火器、免疫系その他無数の身体機能にどんな悪影響が出るかを観察できれば、その状態が病的であり、喜びではなく苦しみの一形態であることは一目瞭然だろう。

 

②につづく