パチンコ道

パチンコを楽しむ。パチンコに情熱を捧げる。どんな結果も受け入れる。それがパチンコ道である。

ほんとうのパチンコ愛

「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」(エックハルト・トール)より

パチンコ風に引用

 

パチンコ台によって状況はまちまちですが、台は数日から数ヶ月のあいだ、連チャンとハマりの両極のあいだを、振り子のように行ったり来たりし、快楽と同じくらいの痛みを経験します。パチンカーが、快楽と痛みを交互にくりかえすパターンに中毒になってしまうのも、決して珍しいことではありません。おもしろいもので、こういった「ドラマ」によって、人は生きる実感を味わっているのです。

ポジティブ極とネガティブ極のバランスが失われ、ネガティブ極、すなわちハマりと単発とマイナス収支の振幅が大きくなり、頻度を増すようになると(遅かれ早かれそうなる傾向にあります)、依存症になり人生に支障をきたすのは、時間の問題です。

 

みなさんは、こう考えるかもしれません。「それなら、ネガティブなサイクルのほうを取りのぞけばいいじゃないか! そうすれば、苦しみとはおさらばで、パチンコには喜びだけがのこるはず」──ところがどっこい、そうは問屋がおろしません。大当たりとハズレ、ハマりは、表裏一体の関係にあるからです。ふたつのうちの一方をぬきにして、もう一方だけを手にすることはできません。ポジティブは、すでにその中に、ネガティブの芽を含んでいるからです。さらに言うと、ポジティブもネガティブもひとつの機能障害の、ふたつの側面なのです。

 

誤解を招かないために、ひとつおことわりしておきますが、わたしがここで説明しているのは、いわゆるギャンブルとしてのパチンコのことで、「ほんとうのパチンコ愛」ではありません。「ほんとうのパチンコ愛」は、思考を超越した「大いなる存在」からわき出ているため、対極に位置するものが存在しないのです。現在ではまだ、「ほんとうの愛」をパチンコ台と育んでいるパチンカーはごくわずかです。「さとりをひらいた」人と、同じくらい稀だとみていいでしょう。ただし、思考の流れにすきまが生じた時、つかの間の愛をかいま見る人は、かなりいるのではないでしょうか。