パチンコ道

パチンコを楽しむ。パチンコに情熱を捧げる。どんな結果も受け入れる。それがパチンコ道である。

出玉を求める=不満と欠乏

「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」(エックハルト・トール)より

パチンコ風にして引用

 

ほとんどの人は、大当たりや、連チャンして玉が出ることによって、自分が幸福になったり、恐れや欠乏感が解消されたりすると信じて、それらを追い求めています。

大当たりによって、自分が生きている、という実感を覚えたり、連チャンによる玉の獲得によって、存在価値が高められたと思ったりすることは、確かにあるでしょう。

しかし、これは「不満」と「欠乏」を出発点とし、そこからなにかを求めています。ところが、「不満」や「欠乏」を出発点にしているかぎり、手にする満足感は、いつもつかの間で過ぎ去り、「理想の出玉」を、永遠に頭に描きつづけることになります。

「『大当たり』を手に入れ、『収支』がプラスになったら、その時やっとわたしは『幸福』になれる」――これが、「未来でなら、よい結果を出せる」という幻想を生む、「無意識」な心構えの典型です。

 

さとりは、自由の境地です。恐れ、苦痛、欠乏(「自分の収支が足りない」という思い込み)、その欠乏に起因する、大当たりしろ、確変になれ、連チャンしろなどといった感情から解放されています。

さらに、頼むから当たってくれといった思考、ネガティブ性、過去のハズレや未来の連チャンを思い煩う心からも解放されています。思考は、私たちにこうささやきます。「『激アツ演出』がこないと、『大当たり』にはたどり着けないよ」。出玉を出すには、条件がある、と思考は言っているのです。その条件とは、赤保留が湧くことだったり、一万発オーバーの連チャンをすることだったりします。要するに、思考はわたしたちに、「時間」が必要だと言っているのです。出玉を出すには、3大演出を出し、最強リーチに行って、大当たりさせ、確変になり、ラッシュにぶち込むための「時間」がなければダメだと言っているのです。

思考は、時間が、出玉を出すための条件だと言っているのですが、皮肉なことに、時間こそが、出玉を出すうえで「最大の障壁」なのです。