パチンコ道

パチンコを楽しむ。パチンコに情熱を捧げる。どんな結果も受け入れる。それがパチンコ道である。

お金が入ってくる意識

これを手放すと急激に金運が上がる。ポイント3つ。 - YouTube

 

以前に見つけていいこと言うなと思っていた吉岡純子さんの動画。

今日はこちらの動画で話されていることを要約してご紹介。

 

■1つめ

お金を欲しいと思う意識を捨てる。

パチンコで言えば、大当たりしたいと思う意識を捨てる。

 

じゃあどうするん?というと、

 

お金のエネルギー帯と、自分のエネルギー帯を同調させておく。そうするとお金は集まってきちゃう。

パチンコで言えば、大当たりのエネルギー帯と、自分のエネルギー帯を同調させておく。

そうすると、自分の体が磁石になって勝手に集まってきてしまう。

 

それじゃ、どうやってエネルギーを同調させるの?というと

 

お金がもたらしてくれる感情がお金のエネルギーなので、その感情を深く深く感じる時間を出来るだけ増やす。

 

人によっては安心するとか。嬉しいと感じるとか。

その気持ちを深く深く味わう。

 

大当たりしたらどんな感情でしょうね。

例えばエヴァで初当たりとりました。やったー。ツイてる。嬉しい。気持ちいい。これなら連チャンワクワクする。

このSTが当たったら。よし来た、嬉しい、気持ちいい。

 

で、大当たりしたら~という同調に限らなくても良くて、

それと同じような感情を持つ時間を日ごろから増やしてあげればいいとのこと。

 

嬉しいなって感じるのであれば、嬉しいなって感じる状況づくりを日ごろからするということ。

吉岡純子さんの場合は余計なことを考えるから、岩盤浴に通ったと言ってた。

とにかく自分が嬉しいな、気持ちいいなと思う…それが増やすのが何よりですね。

 

■2つめ

今を基準とした未来には、無限の可能性がある。

その可能性を自分自身で潰さないこと。可能性は無限大にある。

 

きっとダメだろうなとか、きっとうまくいかないだろうなとか

そういった意識は、捨てること。うまくいく可能性を自ら断とうとしないこと。

本当はひとりひとりにすごい力がある。

 

どうせ時短はスルーするんだろうなとか、このST当たらずに終わりそうだなとか、過去の流れからどうせ単発だろうなとか、ネガティブな方向から未来を勝手に推測するような、そういう意識には入らないこと!

 

素晴らしい展開が作れる。素晴らしい力があるから。

だいたい自分の可能性ってこんなもんだろうな、じゃなく、自分のいままであったから、だからこそ、素晴らしい展開がはじまっていくんだと。

 

未来は明るい。

この通常時の未来は明るい。

この時短の未来は明るい。

このSTの未来は明るい。

 

そのようにして意識をぱっかーんと開いて、パチンコを打つのもまたよいのではないだろうか。

エヴァ15のSTでゼルエルボタンは熱い

【新世紀エヴァンゲリオン~未来への咆哮~】『#146』最強オカルト打法の共演で自己記録更新達成! - YouTube

 

YouTubeで見つけたエヴァの爆連動画です。

 

これ見て思ったのは、連チャンが続くときはゼルエルボタンでも当たるということ。

 

こないだ自分も23連したんですが、そのときもゼルエルボタンで当たってました。

 

別に確かな根拠が山ほど集まってるわけではないです。

 

でも、ゼルエルボタンって普段ならまあ当たらんやろなーって押してみて外れる、気持ち的にスルーするだけの演出じゃないですか。

 

それが、もし当たれば爆連するSTかもしれない!って思ったら、ゼルエルボタン演出の当落がちょっと楽しくなるよね。もちろん当たる可能性もあるわけだし。

 

オカルト的発想ですが、そんな風に楽しめたらまたエヴァ打つ時に一つ楽しめるなと思いました。

パチンコ台が表現したものを受け入れる

最近はこの、タイトルの通りのことが尊いなあと思う。

 

回らないとか、当たらないとか、ほとんどの人はパチンコに文句言ってるわけです。

私含め。

 

でもそれって、パチンコ台の表現の一つだし、それがあるからパチンコなんですよね。

 

だから、そのパチンコ台の表現を優しく抱きしめる、受け入れる。

子供や友達を見るような感覚で、相手の表現を認める。相手の気持ちを尊重する。

 

そしたら、無駄だと思っていたこの一回転がなんだか貴重な一回転に見えてくるわけです。

大事であり素敵であり、二度と現れない表現のひとつなんだと。

 

何にもない一回転。

ただの煽りだけの一回転。

いま見ている一回転の表現は、この一回転である必要があった。

 

これは、大きな心のシフトです。

天地がひっくり返るほどのシフトです。だって、イライラする原因だったものが愛に変わってしまうのだから。

 

そんな素敵なパチンカーが増えれば、パチンコはもっと素敵だなと思いました。

無駄なものは面白い

Voicyというサービスで何かを聴くことがあります。

 

voicy.jp

 

選ばれたパーソナリティが、ラジオのように様々な情報を発信してくれているサービスです。

基本的に無料で聞けて、ためになる話も多いので、移動中に聞きたい方や、動画ばかりで疲れた方などにもオススメ。

 

YouTubeをはじめとした各種メディアにしてもそうですが、何か自分の時間を費やすのなら「学びを得たい」という風に思う方は一定数いると思います。

私も、何かの役に立つような記事を書きたいし、学ぶ時間が多いほどいいだろう、と思います。

 

しかし、ある時適当にVoicyを開いていると、高橋晋平さんなる方のVoicyが再生されました。

この方はおもちゃ開発を専門としている方で、アイデアの出し方を世に伝え広めるような活動をされています。

 

そんな紹介にやや惹かれつつ適当な回のVoicyを再生してみると。

 

先ほど高橋会なる謎の会から帰ってきました

 

…んん?

 

この高橋会は名字が高橋の人が集まる会で…

今日は同じ高橋さんのゲストと一緒に

高橋あるあるを話し合っていこうと思います

 

なんじゃそりゃ?

 

高橋あるある。

日本で数の多い苗字第三位だが、それをドヤっている。

一位の佐藤も、二位の鈴木も、四位の田中も何も思っていないが

高橋は誇りに思っている。

「わかる」

「うん。ドヤっているというか心地よい感じ」

 

大の大人3人が揃って何を真剣に話してるのかww

 

視聴者からメッセージが来ました。

*高橋って何歳から書けるようになりましたか?

「う~ん、これはいい質問ですねえ」

「5歳とか6歳じゃない?」

「高橋の橋の字が書けるのが目立つから、わざとひらがなで書いてたよね」

 

ほんとうにくだらないwww

 

とまあ、そんな感じで雑談トークが繰り広げられまして。

生活の質を向上するライフハックは!とか、こういう時にどう考えるべきか!とか、メッセージ性のあるものじゃなくて、本当にただどうでもいい内容が続くわけです。

大の大人が3人も寄って、選ばれたパーソナリティーが喋れる場でそれをやってるわけ。

 

でもさ、それがもうくだらなくて笑えて来るわけですよ。

本人たちもふざけ半分なんだろうけど、なんとなく本気で話してる感じが伝わってくるのがまた面白い。

 

それで思ったのがやっぱり、ためになる情報とかそういったものが大切なのは間違いないと思うのだけれど、

人生を楽しいと思わせるものってこういう無駄なものなんじゃないかなと

このくだらないラジオ(誉め言葉)を聴いて思ったわけです。

 

パチンコだっておんなじようなもん。

お金払って、たまに戻ってきて、ハマっただの当たっただの、連荘しただのとやってるわけです。

正直言って無駄な時間です。パチンコなくたって、人生生きていけます。

 

じゃあ、パチンコやる人はなんでやるわけ?

それはもうパチンコが好きだから、楽しいからやってるんですよね。

 

無駄なんですよね。論理的に考えれば。

でも、そこには言葉や数字だけでは説明できないような面白さや楽しさがある。

 

むしろ、面白さや楽しさを追い求めるという観点に立てば、

無駄なことに真理があるのではないか。

 

いつかこの世を離れるとき、

ああ、人生面白かったなあって思えるとしたら。

それは、無駄なことをやっていたからじゃないか。

 

それは、無駄なことをせず効率良く生きよう、というのとは真逆のこと。

 

無駄なことは面白いのだ。それこそが人生を彩るものなのかもしれない。

当たりゼロのとき

パチンコに行って、大当たりゼロで帰る。

 

こんなに悔しいことはない。

大当たりを楽しむためにパチンコを打っているのに、幾ばくかのお金をつぎ込んだ上で、何も楽しめなかったし、何の成果も上げられなかったのだ。

愚痴の一つでも言いたくなるものだろう。

 

しかしながら、である。

本当に何の成果もなかったのだろうか。

 

次に良い成果を出すために学んだり改善するところはなかったのだろうか。

 

例えば台選びの立ち回りだ。ちょっと打って、回らないから移動する。また座って、また回らないから移動する。

やがて、こんなに回らないなら他の台を打とうと思って、目に付いたちょっと気になる機種を打つ。でもやっぱり大して回らない。

 

このような繰り返しでは打っていてもテンションが上がらないし、腰を据えて大当たりを狙うという気も起きない。釘を大して見ずにただ座るというのは1回転でも多く回して大当たりを狙うという基本から遠ざかっている。

 

釘の見方についても、ヘソ、風車、スルーなどといった共通的な部分はあるにしても、機種ごとのこぼしポイントなど特殊な部分はある。

そういったところまで研究して見るようにしているのか。

 

反省点はなかったのか。

次に悔しい思いを少しでもしないために、今やれることはないか。

 

それでもし、今後の勝率を上げることができたのなら、悔しさというバネをプレゼントされたという見方もできるのではないか。

それは店からのプレゼントではなく、神からのプレゼントかもしれない。

 

あるいは、人は学ぶためにこの世に生まれてきたのだという。

 

それでは、この当たりゼロという仕打ちは何を学べと言っているのか。

 

先ほど挙げたようにまだ改善できるポイントがあることを言っているのか。

では、何もかも条件は完璧で、であるにもかかわらず大当たりがゼロだった場合は?

 

人生の学びともなれば、それは単なる学問ではなく、心の学問なのではないか。

心の学問として、この大当たりゼロという状況をどうとらえるか。

 

100人いたら100人ともが文句を言いたくなるようなこの状況で

 

私は、俺は、自分は、

確かに、そして静かに、この事実を受け入れる。

 

それは、パチンコ台に対する不満ではなく

パチンコという遊戯を楽しむ者としてパチンコ台を尊敬、リスペクトした上で

パチンコ台が表現したものを受け入れるという、愛である

 

パチンコが思い通りに行かない時は、愛を学んでいるのだ。

人が人に優しくなれるのは、愛の力だ。

負けたことのある人間は、負けている他人の気持ちがわかる。

パチンコにおいても愛を学ぶことができるのなら、こんなに楽しくありがたい趣味はない。

当たり外れを手放す祈り

「わかりました、神さま、当たるのも外れるのもあなたの物です。外れることになっているのなら、私がそれを受け入れられるよう助けてください。そうじゃないなら、大当たりはすでに選ばれていて、そして私は導かれます」

 

トーシャ・シルバー. それはあなたのお金じゃありません: 聖なる豊かさで満ち足りて生きる! (p.43). 株式会社ナチュラルスピリット. Kindle 版.

 

 

パチンコを全て愛に捧げる

「 私 は 今、 この パチンコ を すべて 愛 に 捧げ ます。 当たる 準備 が でき て いる こと は、 すべて 当たり ます よう に。 ハズレる 準備 が でき て いる こと は、 すべて ハズレます よう に。 私 は 至高 の こと が 起こる よう 心から 望み ます。 私 が 豊か で あれ ます よう に」

 

トーシャ・シルバー. それはあなたのお金じゃありません: 聖なる豊かさで満ち足りて生きる! (p.43). 株式会社ナチュラルスピリット. Kindle 版.