パチンコ道

パチンコを楽しむ。パチンコに情熱を捧げる。どんな結果も受け入れる。それがパチンコ道である。

他人の台を見るときのエゴに気付く

「ニュー・アース」(エックハルト・トール)より

パチンコ風に引用

 

エゴにはつい見過ごしがちな微妙な形がたくさんある。あなたはそれを他者に、そしてもっと大事なことだが自分にも見ることができるはずだ。覚えておいてほしい。自分のなかのエゴに気付いたとき、気付いているのはエゴを超えた自分、もっと深い「私」である。インチキに気付いたときには、すでに本物が現れているものなのだ。

 

たとえば、誰かに収支報告をするとする。「ねえ、今日パチンコ行ってきたんだけど、何発出たと思う?」そのとき、あなたが注意深くて、きちんと「いまに在る」ことができていれば、たとえそれが悪いニュースでも話そうとする一瞬に満足感がよぎるのがわかるだろう。そのわずかな瞬間、エゴの目からすれば自分に有利で相手には不利な不均衡が生じているからだ。その瞬間、あなたは相手より「優位になる」ことを知っている。あなたが感じた満足感はエゴのそれで、他人との関係で自分が強者になったと思うことから生じている。

 

相手が大統領だろうが法王だろうが、その瞬間あなたの方が「出玉が多い」ことによって優越したと感じるのだ。

たいていの人がゴシップに目の色を変える理由の一つはここにある。さらにゴシップのほとんどには他人への悪意の批評や批判という要素があり、それも自分のほうが倫理的に優位に立ったという想像を通じてエゴを強化する。誰かに否定的な判断をするときには、きっとこの優越感がある。

 

誰かが自分より多く大当たりしていたり、出玉を出していたり、連チャンしていたりすれば、エゴは脅威を感じる。自分のほうが「劣る」と感じると、想像上の自己が他人と比べて小さく縮んでしまうからだ。そうするとなんとか自己を回復しようとして、相手の見た目や服装や持ち物を貶めたり、確変の終了を願ったりする。

 

(中略)

 

真のパチンカー仲間の関係とはエゴのイメージづくりや自分探しの支配を受けないものだ。真のパチンカー仲間には相手への開かれた明晰な関心の流れがあり、そこでは相手に何も求めてはいない。この明晰な関心が「いまに在る」ことで、すべての本物の人間関係に必須の要件である。